自己を認めた世界と愛の時代



芍薬の季節

自宅も今、この花の香りに満ちています



開いた様は観音さまのお姿のような

華やかであたたかい印象を受ける

大好きなお花の一つです




この花を生けると

生き様と死に方について

以前

考えたことを思い出します





スピリチュアルを仕事にしていこうと決めた時

この世の幸せな生き方を知りたいと思ったのと

同時に

死に方も決めておいた方が良いなと

思った私がいて






芍薬を生けてしばらくして

散り際を見せてくれた瞬間に

あーこの芍薬のように

華やかに開いて

散り際までも美しく

ぱっと死んでいく



そのように

この物質世界を去りたいと

今もそれは変わらず自分の中にあって

私の生き方の軸になってる気がします






生き方についてわかってることは

父を7年前亡くした時に

彼から学んだことがあって

したいことを我慢して

後回しにしたまま

本当にやりたいことができずに亡くなったので





人はあっという間に死ぬんだとわかったことと

したいことはこの星(地球)にいるうちに

経験しないといけないということ

その二つを父から最後に教わりました





この道に進もうと思えたのも

父の人生が大変そうだったから

【人はなぜ?】という思いが

幼い頃からあって

人の心理に自然と興味を持つようになり

子供ながらに人を分析する癖が

習慣になったのも

父のおかげとも言えます






その父の影響から

人のしあわせとは?

これをずいぶん考えたけど






人のしあわせとは

自由であること

これなのではないかと

この頃思うようになりました





誠の自由

真の自由




どこにも制限や制約のない

どこまでも果てしなく広がっていて

蟠りのない

いつも流れてる状態





自然の流れのまま

そのままを生きている





そして

その状態を許せていて

ありのままの自分を

認めている






したいことをしたい時に

していいと思える柔軟なこころ




行きたい時に行きたいところへ行ける

身軽さ




時間を気にせず

全てのことを決められる解放されたあり方





この状態でいれたら

愛の世界を生きてると感じられるし

本当の自由を感じるだろうと思う





そして

そのように生きていいと許可できるのは

誰かではなく

自分自身であること





制限を設けているのは自分であって

社会でもなんでもない

制約に縛られてるのは自分であって

実は法律は関係ないのかもしれない





こころが感じる通りに生きていると

人はいつでもどんな時でも

今すぐに幸せを感じられるようにできていて

それを認めてあげることが

人のしあわせなんだろうと

スピリチュアルを仕事にしてる身として

結論付いている





どこまでも

自分の思いを叶えてあげられるのは

自分自身のこころあり方です





こうでないといけないと思う

拘りを持つことや

何かをやり切ってしまうことは達成感があって

人に認められてるような気がして

自分もある程度は納得するかもしれないけれど





その前に自分のこころとからだは

その状態をなんと思うのか

感じとってあげると

どう捉えてあげればいいのかわかってくる





自分がしたいことを

本当の意味で許せていて

いつそうしたっていいと認めてあげて

いつこの世を去るのかわからないのだから

いつだってしたいように生きて行ける






一人一人が

このあり方でこの世を生きてると

どんどん愛の世界は拡大していきます





愛とは自由であること

それがどこまでも続いて広がってる世界です






一瞬立ち寄ったこの星で

楽しかった体験をたくさんして

あの星(地球)にいくと

楽しいこといっぱい経験できるよと

魂の世界で仲間たちにいつか話すのかもしれない







私たちは元々

ずっと自由でした

自由は人のしあわせと繋がっています

しあわせも自由も

自分のこころのあり方次第で決まります





どんな自分も認めてあげる

優しい人は強く

強い人は優しい

自分にそうあることが愛です





霊視スピリチュアルカウンセラー養成スクール

代表 大宅初美

𓂃mana𓂃


spiritualスクール

霊視スピリチュアルカウンセラー養成スクール 霊視スピリチュアルカウンセラー講座 スピリチュアル講師講座 スピリチュアルセミナー講師講座